祇王寺(ぎおうじ)は、京都府京都市右京区の嵐山近くに位置する美しいお寺です。その美しい庭園と歴史的な価値から、多くの人々が訪れる名刹として知られています。ただ、嵐山から少し離れた奥地にひっそりと佇む寺院というだけあって、知らない人が多いのもまた事実。
今回は、祇王寺の魅力やその歴史を紹介しながら、苔の見頃の時期の素晴らしさとその歴史についてお伝えします。
悲恋の尼寺「祇王寺」の歴史について
あまり知られていませんが、実は祇王寺は「悲恋の尼寺」としてゆかりのあるお寺です。
祇王寺とは、平安時代に創建された古刹であり、建立したのは法然の弟子の良鎮と言われています。
当初の名前を「往生院」と言い、それはそれは立派なお寺だったそうですが、明治時代になる頃には、当時の面影も無く廃れてしまっていたと言います。
ちなみに廃寺となった明治期、残されていた墓や仏像などを大覚寺が保護したという経緯から、大覚寺とも非常にゆかりのあるお寺となっています。
(大覚寺は嵐山のメイン観光ルートのすぐ近くなので、歴史的経緯を堪能したい方は両方訪れてみると良いかもしれませんね)
その由緒正しい歴史とともに、自然と調和した美しい庭園が祇王寺の魅力の一つと言えますね。
悲恋の平家物語「祇王と祇女」について
さらに知られていないエピソードとして、この旧往生院には、平家物語に残る悲恋の物語が存在します。
時は平清盛全盛期の平安時代、当時の流行り歌(今様)を歌う祇王と祇女という姉妹がいて、今で言うところのアイドルのような存在。
超絶人気のアイドルだったために、その噂は平清盛にまで届きました。
そして歌と踊りを清盛の前で披露したところ、清盛はお姉ちゃんの祇王にぞっこん。
すぐに自分の屋敷に姉妹とその母親を住まわせ、姉妹たちは何不自由ない暮らしができたと言います。
(アイドルから一気に政治家の家族ぐるみの愛人という感じで、あまりに縁起が良いということで、この時期は「祇」という字を名前に付ける家庭も増えたのだとか。)
ただその後加賀(今の石川県あたり)から別のアイドルである仏御前がやってきて、清盛の前で歌と踊りを披露します。
するとなんと、清盛は今度は仏御前に夢中に。
すぐに祇王たちを屋敷から追い出し、仏御前を住まわせる始末です。
さらに酷いことに、祇王たちを追い出した後も、「仏御前が暇をしているから、うちに歌いに来て」と祇王たちを呼びつけたのです。
そんな心無い清盛の様子に、祇王は悲恋の和歌を詠み、この往生院に姉妹、母親とともに仲良く3人で出家、平穏に暮らした・・・というのがストーリーです。
そしてさらにその後、祇王の立場を奪った仏御前まで「この世の無常を悟って」、同じ往生院に出家してくるというオマケ付き。
その後、みんなで無常の心を分かち合いながら、仲良く尼寺生活を謳歌したそうです。
今の感覚で言うと、悲恋というよりかは、モラハラ男に振り回されたアイドルの末路・・といった少し下世話なタイトルが思い浮かんでしまいますが、実はこのストーリーに心を打たれた明治期の第3代京都府知事が、自分の別荘として寄贈した茶室を移築することで、今の祇王寺の姿が出来上がっています。
祇王寺の美しい青紅葉と苔の絨毯について
祇王寺の庭園は、四季折々の美しい風景を楽しむことができますが、特に新緑の苔と青紅葉、さらには秋から冬にかけての紅葉の見頃は圧巻です。祇王寺の庭園はそれほど広くはないものの、美しい苔庭が広がっており、その季節ごとそれぞれが個性的な景観を見せてくれます。
苔の絨毯が広がる庭園は、まさに幻想的であり、訪れる人々を魅了します。
苔は湿度と日光のバランスが重要であり、その環境を整えるために、お寺の職人たちが日々手入れを行っています。(瑠璃光院の苔や青紅葉もそれは見事ですが、祇王寺も負けず劣らず素晴らしい絶景です)
前述のストーリーを見てもわかる通り、言わば芸術と宗教が交錯する場所としても知られており、多くの文化的な背景を持っています。
特に、祇王寺には多くの国宝などの貴重なものも含まれています。
(本堂には、先ほどお話した祇王、祇女、及び母親と仏御前、さらには平清盛の5人が祀られており、しかも平清盛を囲う形で4人の助成の仏像が置かれているのがまた、良い味を出しています)
祇王寺を訪れると、その静けさと神聖な雰囲気に包まれます。まず目に入るのは、重厚で美しい山門です。山門をくぐると、そこには美しい庭園が広がります。
苔の見頃に祇王寺を訪れると、まるで異世界に迷い込んだような感覚に陥ります。
苔の絨毯が広がる庭園は、一歩足を踏み入れるだけで、日常の喧騒から解放され、自然の中に身を委ねることができるでしょう。
紅葉の時期などは正直結構混雑していますが、それでも、非日常感に包まれる感覚を体験できます。
真夏の苔の時期でも、どことなくここだけは涼しい感じがします。
苔は、繁茂するためには水や光が必要であり、その環境を整えるためにお寺の職人たちが丹精込めて手入れを行っています。その苦労が実を結び、見事な苔庭を楽しむことができるのです。
祇王寺への参拝には、さまざまなご利益があります。
特に苔の絨毯が見頃の時期に訪れると、その美しい風景から心の癒しを感じることができます。また、お寺に祀られている仏像に思いを寄せることで、健康や家庭円満、学業成就などの願い事を捧げることができると言われています。
前述のストーリーに出てきた女性たちも、非常に心穏やかな性格だと推察されますし、強い力で願いをかなえてもらう、というよりは、自身の心を落ち着け、自分の心と向き合いながら願いを捧げる、そういう場所にふさわしいのではないでしょうか。
(祇王は、最初に仏御前が清盛のもとを訪れた際、興味がないと追い返そうとする清盛に対して、「せっかく来てくださったんだから、一目くらい見てあげてはいかが?」ととりなしをしたほど、心優しい女性です。その行為が自身の身を亡ぼすわけですが・・・)
祇王寺へのアクセスと観光シーズンについて
祇王寺へのアクセスは、JR嵯峨嵐山駅から徒歩で約15分程度です。
また、嵐電嵐山本線の嵐山駅からも徒歩で行くことができます。周辺には観光名所である嵐山や渡月橋もあり、祇王寺への訪問を含めて充実した観光プランを立てることができます。
苔の見頃に祇王寺を訪れ、その美しい庭園と歴史的な魅力に触れることで、心身の浄化と成長を促すことができます。
祇王寺は、自然と調和し、心を癒す場所として多くの人々に愛されており、日本国内外から多くの観光客が訪れています。
一周見て回るだけであれば15分もかからない、小さな庭園ではありますが、現代社会で忙しい日常を離れ、自己探求や内面の平穏を求める人々にとって、貴重な経験となるでしょう。
この写真は、祇王寺の入り口のすぐ近くのレストランで、真夏の新緑の雰囲気と木造のお店の雰囲気がマッチし、思わず写真を撮ってしまいました。
ここから15分ほど歩くと、前述のとおり嵐山のメイン通りにたどり着きます。
特に真夏の新緑の季節は、苔の美しさのみならず、庭園を埋め尽くさんばかりの青紅葉も絶景です。
祇王寺は、苔の見頃に訪れることで一層の美しさを堪能することができるお寺です。その静寂と美しさに包まれながら、歴史と文化を感じ、心の癒しと成長を得ることができるでしょう。
非常に由緒あるお寺ですから、ご利益を願いながら訪れることで、心の願いが叶うかもしれません。
祇王寺への訪問は、京都の魅力を満喫する絶好の機会でもあります。
その歴史と風景に触れながら、心が落ち着き、内なる平穏を見つけることができるでしょう。
ぜひ、祇王寺の苔の見頃に訪れ、その神聖な空間で特別なひとときを過ごしてみてください。