京都は、日本の歴史と文化が息づく美しい街であり、その中でも永観堂は美の極致を体現する場所の一つです。永観堂は、京都市左京区に位置し、その美しい庭園と歴史的な建造物で知られています。この記事では、永観堂の見どころを詳しく紹介し、訪れた際の魅力を存分に楽しむための情報をご紹介します。

永観堂の見どころ、夏は新緑、秋は紅葉

春の訪れとともに、永観堂の庭園は鮮やかな新緑に包まれます。

特に、苔むした庭園や枝垂れ桜の下に咲く花々は、その美しさが際立ちます。

新緑の季節に訪れると、まるで絵画の中にいるような感覚に包まれます。

苔庭や石組みの庭園が、静寂と調和を醸し出し、訪れる人々に穏やかな癒しを提供します。新緑の美しさは、庭園全体を鮮やかに彩り、訪れる者の心を和ませてくれます。

永観堂のもう一つの魅力的な季節は秋です。紅葉の季節になると、庭園や周辺の木々が鮮やかな赤、黄、オレンジに染まり、まさに絶景と呼ぶにふさわしい風景が広がります。特に「銀閣」として知られる場所では、紅葉の美しさが最高潮に達します。銀色の砂利と紅葉とのコントラストは、圧倒的な美しさを創り出します。

秋の永観堂ではライトアップイベントも行われ、夜になっても美しい紅葉を楽しむことができます。ライトに照らされた紅葉は、幻想的でロマンチックな雰囲気を醸し出し、訪れる人々に特別な体験を提供します。

新緑と秋の紅葉、それぞれの美しさが、永観堂を訪れる人々に心に残る素晴らしい思い出を提供しています。

さて、そんな魅力あふれる永観堂の七不思議について、一つ一つご紹介していきます。

有名な落語ではない方の「抜け雀」

抜け雀というと、有名な落語の話が思い浮かぶかもしれませんが、実は抜け雀に関する伝承は永観堂以外にも、京都の名だたる寺院(西本願寺や知恩院など)にも同様の伝承があるようです。

内容としては、古方丈という書院(建物)の中にある「孔雀の間」のふすまに雀が描かれているのですが、本当は5羽いたはずの雀が4羽になっており、これが、あまりに見事な(本物のように見える)雀が、命を吹き込まれて飛んで行っていなくなってしまったというのです。

中には「永観堂の庭園の美しさに惹かれて飛んで行った」といった説も見たことがありますが、どちらにせよ、日本が古来から雀などの動物が宗教上神聖視されてきたという背景があります。

神道では、動物や自然の要素が神聖視され、神の使者と考えられることがあります。

雀もその一つで、特に古代から中世の日本では、雀が神聖な動物として崇拝されたことがありました。

そのような経緯も影響し、このような伝承が生まれたのかもしれません。

一本だけ残っている悲田梅

永観堂とはもともと、7代目の永観(ようかん)という人物の名前から親しみをこめて「永観堂」と呼ばれるようになったのですが、この永観という人物が、弱者の救済という点において非常に優れた人物でした。

梅は当時からも健康食であり、健康に良いとされる梅の木を多く植え、それを弱者に食べさせていたといいます。

ちょうど今から900年ほど前の話ですので、だいたい鎌倉時代成立前後くらいの時期にあたります。

その当時と言えば公家から武家へと政治が移り変わった不安定な時代、弱者のために植えられた梅が、実は今でも1本だけ残っているといわれています。

本当に焼けなかった火除けの阿弥陀如来

弘法大師が作ったとされる阿弥陀如来像があるのですが、それはもともと火除けを願って作られたいわゆる「霊像」です。

京都で起こった最も大きい乱「応仁の乱」の際、永観堂も例にもれず被害を受けたのですが、この阿弥陀如来だけはほとんど被害を受けず、右手が少し焦げただけだったといいます。

(この像が置かれていた建物は大きな被害を受け、焼け落ちています)

この奇跡と、もともと火よけのために作られた阿弥陀如来像であったことから、現代まで「本当に火除けのご利益がある」と語り継がれています。

永観堂の螺旋階段である臥龍廊

永観堂で最も有名ともいえる臥龍廊。

釘を一本も使わずに作られている螺旋階段で、ぐねっと曲がった立派な螺旋階段の様子が龍に似ていることから、臥龍廊と名前を付けられました。

釘を一本も使わずに「組木」と呼ばれる技法で作られているというのがあまりに信じがたいことから「七不思議」に数えられていますが、まぎれもない事実です。

三鈷の松(さんこの松)は仏教的なアイテム?

「金剛杵(こんごうしゅ)」は、仏教の象徴的なアイテムで、特に密教の宗派で使用されることがあります。金剛杵は、仏教の信仰や実践において重要な役割を果たす道具の一つで、一般的に、金剛杵は不動明王(あるいは大威徳明王)という仏教の守護神を表現するために使用されます。不動明王は、信者を邪悪から守り、障害を取り除く存在とされており、金剛杵はその不動力(邪悪を打破する力)を象徴します。

実は永観堂の螺旋階段のすぐ手前には松の木があるのですが、それが3つに枝分かれしており、その様子がこの「金剛杵」に形が似ているということから、ご利益があるとされています。

永観堂の松の木の枝は無料で配布されており、持って帰ってタンスに入れるとお金が貯まるとか、魔よけになるといった言い伝えがあるようです。

木魚蛙は実在しないのか?

永観堂の七不思議のひとつに、「木魚蛙」というものがあります。

蛙の鳴き声が春先から夏前に聞こえるのですが、その声が木魚をたたく音に似ているから、ということで、木魚蛙と呼ばれています。

ただ七不思議と言われている一番の理由は、声はたくさん聞こえるのに、その蛙の姿を見たことがある人は一人もいない、と言われている点です。

まあ蛙と言っても、ウシガエルのような大きい品種でなければ、場合によっては指先ほどの大きさだった場合、なかなか姿を見る機会はないかもしれませんが、その不思議さが七不思議として数えられています。

一説に、蛙に非常に鳴き声が似ているアオサギなどの声と聴き間違えているという主張を見たことがありますが、アオサギであれば声の主がすぐに分かるので、やはり非常に身体の小さい蛙が生息している、という説が有力でしょうか。

岩垣もみじと俳句の関係

タイトルにも「歴史と俳句と七不思議」というキーワードを入れていますが、最後の七不思議は、和歌に関するものです。

永観堂が建てられる前からこの地に住んでいたとされる藤原関雄が「古今集」という和歌集で詠んだ歌とされていますが、これは永観堂の非常に美しいモミジの一つが、普通であれば滅多に生えることのない急斜面に生えていることから、非常に不思議だとされているのです。

おく山の 岩がき紅葉ちりぬべし 照る日の光 見る時なくて

この和歌は、「美しく輝き照る日の光を見ることもなく、こんな山奥の岩垣(急斜面)に根を下ろしたモミジが散ってしまいそうだ」とという意味で、この急斜面に根を下ろしたモミジとは、藤原関雄自身のことを指しています。

美しい紅葉を見て読んだ歌とは言え、病気をして、山奥の寝床から出られなくなり、朝廷にも出仕できず、このまま日の光も見ることなく自分は死んでいくのだろうなあという悲しみを詠んでいるものです。

七不思議という点では「こんな急斜面にモミジが生えるのは珍しい」という点ですが、これが有名になるきっかけになった藤原氏の和歌は、むしろ自身を美しい紅葉にたとえ、それが散っていくという儚さと自分の迫りくる死を重ねた歌という、いかにも藤原氏らしい歌だったのです。

 

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