日本の伝統的な祭りといえば、その一つに京都の祇園祭が挙げられます。
この祭りは、その歴史と伝統、そして壮大さから全国から多くの人々が訪れ、その規模の大きさは日本国内外からの注目を集めています。
祇園祭には多くの特徴がありますが、その中でも特に印象的なのが、祭りの空気を彩るお囃子の音色です。
特に「コンチキチン」と称される音楽は、祇園祭の象徴ともいえる存在で、その響き一つで京都の街が祭りのムードに包まれます。
そこで今回は、「コンチキチン」にまつわるお話を紹介したいと思います。
祇園祭と言えばコンチキチンが有名
冒頭でもお話した通り、祇園祭のお囃子と言えば、「コンチキチン」という音色が有名です。
これは、その音がまるで「コンチキチン」と聞こえることからそう呼ばれています。お囃子の音が街に響き渡ると、それはもう祇園祭が始まった合図ともいえるでしょう。
祇園祭が始まると、四条通に「コンチキチン」のBGMが流れ始め、提灯に灯りがともり、いよいよ町全体が祭りらしい雰囲気になります。
曲や音楽が印象的なお祭りは日本全国に色々ありますが、祇園祭のその音色は一度聞いたら忘れられないほど、鮮烈な印象を残します。
その力強さとユニークなリズムは、祇園祭のエネルギーと喧騒を音楽的に表現していると言えるでしょう。
祇園祭のお囃子は何のためにある?
祇園祭のお囃子は、祭りの雰囲気を盛り上げるだけでなく、宗教的な意味合いも持っています。
もともと疫病が流行っていた平安時代、疫病の原因は憤死した早良親王の祟りなどと考えられていたこともあり、とにかく悪霊を退散させる必要がありました。
つまり祇園祭のコンチキチンは神事の一部として、悪霊を鎮めるためのものなのです。
もう少し詳しくお話すると、楽しそうな派手な音楽をたくさん奏で続けてお囃子の音が響き渡ることで悪霊を酔わせ、悪霊を退散させるといった意味合いがあります。
現代でいろいろな音楽が溢れる我々にとっては、あの「コンチキチン」の音色はどことなく神秘的な・・・というか、ちょっと神々しさや異世界感、そういった厳かな印象を受けますが、当時の人々にとっては、これが「楽しそうなお祭りの音」だったのかと考えると、少し不思議な気持ちになりますよね。
(「楽しそうな宴会をして神様をおびき出す」というのは、天岩戸神話(天照が岩に引きこもってしまい、それを引きずり出すために岩の外で楽しそうな宴会でどんちゃん騒ぎをして、様子を見に出てきたところを引っ張り出す)という話をなんとなく彷彿とします。
もちろん天照は立派な神様で、祇園祭でおびき出されているのは疫病神ですから、そこを並べて語ると怒られてしまいますが、その発想が”日本人らしい”ところなのかなと思います。)
「コンチキチン」の音色は、祭りに参加する人々にとっても、祭りが始まったことを知らせ、一緒に楽しみ、感動を分かち合うきっかけとなります。
まさに悪霊を含めた神様たちの世界と、我々人間を繋ぐような、そんな音色なのかもしれません。
祇園祭のお囃子に使われる楽器
祇園祭のお囃子は、太鼓(締め太鼓)、笛(能菅)、鉦(摺り鉦)の三つの楽器で構成されています。
鉦(摺り鉦)とは、叩く場所によって音が違う楽器で、コンチキチンの主に「チン」の部分のイメージです。(4種類の音が出るそうです。)
祇園祭のお囃子の一番大きな特徴を作っている楽器とも言えるでしょう。
バチは「鉦スリ」と呼ばれ、柄にはよくしなる鯨のヒゲを、先には鹿の角が使われているとか。
甲高い音が特徴で、子供が初めてお囃子に入ると、まずこの楽器から練習するそうです。
笛は「能菅」という能に使われる竹の横笛です。
竹を縦に割って裏返して硬い部分を内面に向けてつなぎ合わせ成形し、管の内側には厚く漆を塗ります。
外側に桜の皮を巻いたものが多く、持ってみると見た目よりもズシリと重く感じます。
自然の素材を用いていることや、もとは独奏のために作られているため少しずつ音が違うといわれています。
尺八をもっともっと甲高くしたような、独特の音色というイメージです。
笛を吹く人たちは「笛方」と呼ばれ、難易度が高いため、比較的年配の男性が担当することが多いですね。
管理人の職場に祇園祭のお囃子の笛方の人がいて、祇園祭の時期になると、いつも昼休みに事務室の外に出て、笛の練習をしていました。
笛方はまさに花形で、人によってはソロパートなども用意されているなど、それぞれが技巧を凝らして演奏します。
楽譜などはなく、文字通り「耳コピ」で伝承されているというから驚きです。
太鼓は「太鼓方」と呼ばれ、コンチキチンの「コン」の部分というとわかりやすいかと思います。
能で使われるものと基本的には同じ作りで、2枚の牛皮と欅(けやき)などをくり抜いた短胴を、調緒(しらべお)と呼ぶ麻紐で固く締め上げたものです。
緒の締め方の強さや飾り結びのデザインは鉾町によって少しずつ異なります。
先ほど笛方が花形パートだとお話しましたが、その一方で太鼓方は、お囃子全体のリズムを先導する、わかりやすく言えばドラムのような役割で、圧倒的リーダーがその役を務めます。
太鼓方の背中を見る機会があれば、まさに「背中で語る親父」といった、物凄い風格を感じることができると思います。
祇園祭のお囃子の音楽の特徴とは?
祇園祭のお囃子の音楽、「コンチキチン」はその特有のリズムとメロディーにより、聞く者を魅了します。
その音楽は一貫して旋律を繰り返すことで、祭りの進行とともに高まる緊張感を盛り上げます。
和太鼓の重厚で力強い響き、鉦の明瞭な音色、そして笛の独特の哀愁を帯びた音色が組み合わさることで、複雑ながらも一体感のある音楽が生まれます。
そのリズムとメロディーは、参加者や観客を一つに結びつけ、共有の感動を生み出します。
実はお囃子は、1曲1分程度の短い曲を20~30曲一気に演奏するような形式で、平たく言えばものすごくハードです。
そんな熱気のこもった「コンチキチン」の音を聞くと、京都だけでなく、日本人は「ああ、夏が来たなあ」と感じるのでしょう。
この音楽は祭りの時間と空間を特別なものに変え、祭りの雰囲気を更に引き立てます。
いつから『コンチキチン』と呼ばれるようになったか
「コンチキチン」の名が初めて使われたのは正確な年代は不明ですが、先ほど紹介した楽器然り、祇園祭のお囃子のルーツは間違いなく能楽にあります。
祇園祭そのものの歴史は平安時代まで遡るものの、現在のお囃子の形やこの音色に限って言えば、今の形に洗練されたのは江戸時代であると言われています。
能楽が特に日本国内で興隆したのは主に室町時代ですから、そう考えると、室町時代頃から現代のお囃子に近い演奏が行われるようになり、江戸時代には現代に近い形が完成されていった、と考えても良さそうです。
その音楽が放つ力強さと独特のリズムが「コンチキチン」と形容されたのが正確にいつ頃であるのか、現時点での記録には残っていないようです。
ただ、この呼び方はその音楽が持つ力と特徴を象徴し、祇園祭と深く結びついています。
まさに「コンチキチン」は、その音楽だけでなく、祇園祭全体の象徴ともいえる存在なのです。
そう呼ばれるようになった正確な歴史をご紹介できず申し訳ないのですが、一連の説明で、コンチキチンが紡いできた歴史を感じていただくことくらいはできたでしょうか。
その音楽が響き渡ると、祭りの雰囲気は一気に高まり、神秘的な空間が広がります。
そして、その音楽を通じて、古くから続く日本の伝統と文化を感じ、共有することができます。
これからも、「コンチキチン」の音色が、祇園祭の魅力を伝え、人々を魅了し続けることでしょう。